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明治初期に廃寺となった不断寺跡に立てられたお堂。筑後の善道寺から招来した古い阿弥 ...
大島の漁業活動を示す供養碑。安政4年(1857)の年記がある。
さくら広場にある櫓で、中に売店がある。鯨関係の資料も展示されている。
鯨組の勘定場(事務所)で使用されていたという大きな井戸。
鯨組井元氏の墓域内にある供養碑で元禄5年(1692)の年記があり、鯨の供養碑とし ...
慶長10年(1605)に攻めてきた平戸勢と戦ったという婦人の武勇を伝える墓碑。
二の丸北側の海側にあった二層櫓(たぐら)。1962年に再建された。天守閣最上階か ...
普門寺境内にある古い建物が景粛堂。この寺の開基が植えたという大杉が1814年台風 ...
平戸市指定史跡。江戸時代に、日本最大規模に栄えた鯨組・益冨組の納屋場があった場所 ...
現在は、内部に入ることはできません。
実はイギリス商館の所在地については、確実な資料がないのだが、1621年の古地図に ...
二の丸の北西側を守る門と櫓(やぐら)で、現在の木門は復元されたもの。当時の門は、 ...
「日本は世界の公園である。平戸は日本の公園である。」日記より。漂泊の俳人と呼ばれ ...
歌人の吉井勇(よしいいさむ)は、「山きよく 海うるわしとたたえつつ 旅人われや ...
積徳堂は、山鹿兵学及び古学を教授した道場の跡である。道場には、素行関係の山鹿家伝 ...
明治天皇の生母中山慶子の母で、平戸藩主松浦清(静山)の11女。姉季子の夫中納言園 ...
ここにイギリス商館があったのではないかと、1621年の古地図から推測できる。道沿 ...
宮の町前の本通りが、当時は海岸で、ここらがポルトガル船最初の入港場所であろうとい ...
フランシスコ・ザビエルは、1550年(天分19)鹿児島を経て平戸を訪れ、短期間で ...
的山港そばにあるこの井戸は、目の前が海なのに、真水だとか。井戸の底を見ると、たし ...
遣唐使船が船出をしたゆかりの地、大久保町田の浦の丘に、石像としては日本一の規模を ...
平戸藩主松浦家第28代松浦隆信の墓がある寺。
ここは、捕吏に追われた弥一兵衛と妻マリア及びその子ジュワンの3人が殉教した場所で ...
県指定の福江市の六角井戸とともに、井戸の型が在来の日本の井戸と異なり、特異なもの ...
藤浦洸(ふじうら・こう、1898年9月1日~1979年3月13日)は昭和時代の作 ...
1639年(寛永16)幕府は、平戸のオランダ商館長に対して、長崎平戸に居住するオ ...
1622年、キリスト教禁令の中、布教活動・救済事業を行ったイタリア人宣教師カミロ ...
オランダ井戸の東側道路を隔てて、恵比寿神社側に向かって下りる石段がある。これがオ ...
オランダ商館跡近くに、大小ふたつの石枠を組み合わせて造られた井戸がある。大きな井 ...
三浦按針(ウィリアム・アダムス)は、始めて日本に来たイギリス人である。1600年 ...
オランダ商館の塀の一部が残っている民家の前の通りから、山手に登る石段の坂道に沿っ ...
千里ヶ浜の南の端に鄭成功にちなむ誕生石がある。支那は明朝の忠臣「鄭成功」が162 ...
平戸と生月の間にある中江ノ島を見下ろす黒瀬の丘にあるキリシタン・ガスパル西玄可が ...